FC2ブログ

ギターの安田裕美さんが逝去されました!

 今、スマホで、ギターの安田裕美さんがお亡くなりになった事を知り、凄く動揺しています!実は、先週2日(木)の若草恵さんアレンジの仕事は、安田さんがフォーク・ギターでいらっしゃる予定だったのですが、インスペクターさんのところに、体調の不具合が原因なのか僕にははっきりとは分かりませんでしたが、スタジオに行く事が出来なくなりました。と言った内容の連絡があり、急遽ギターの大久保明さんがピンチヒッターで登場する事になった訳です。

 安田裕美さんは、高校こそ違いますが、僕と同じ小樽出身の大先輩にあたる方で、井上陽水さんのデビューシングルでプロデビュー。シンガーソングライターの山崎ハコさんの御主人でもあり、日本を代表するギタリストの一人でした。若草さんアレンジの仕事では、僕はこれまで何度も御一緒をさせて頂きました。確か今年の1月頃の若草さんアレンジのスタジオの仕事だったと記憶していますが、録音が始まる前に、僕が今、シンガーソングライターの小田純平さんのサポートで御一緒させて頂いている、やはり日本を代表するギタリストの一人でもある笛吹利明さんと安田さんが同じ大学である事を聴いたので、その話をお聴きしようと思い、安田さんのいるギターのブースに行って御挨拶方々声を掛けさせて頂くと「松っちゃん、俺、今、鼻風邪をひいてるから、感染るよ」と言われたので、一言二言だけ話をさせて貰い、すぐに自分のピアノのブースに戻ったのが、多分安田さんとの最後の会話だったように記憶しています。

 その他にも、僕が谷村新司さんのサポートをやらせて頂いている頃、僕のブログに谷村さんのサポートの様子を日々アップしているのを読んで下さっていたようで「松っちゃんのブログを読むと、松っちゃんも頑張っているなあって、そう思ってるよ!」とか、僕がボブ佐久間さんのお仕事をやらせて頂いている時に、ボブさんの素晴らしいハーモニー・センスに付いて、僕なりに感想を書かせて貰ったのに対して「松っちゃん、ボブさんのそのコードを弾いてみてよ?」と言われたので、ボブさんが使っているセンスの良いハーモニーをピアノで弾いてみると「ジャズだね〜!」と仰っていたのを良く憶えています。心より御冥福をお祈り致します。安田さん、これまでの長い間、本当にどうも有り難うございました!

 以下は、ネットでの情報です。謹んで掲載をさせて頂きますので、宜しかったら、どうぞご覧になって下さい!

山崎ハコの夫でギタリストの安田裕美さん死去 72歳、大腸がん
7/7(火) 16:45配信
デイリースポーツ

 安田裕美さん

 シンガー・ソングライター、山崎ハコ(63)の夫でギタリストの安田裕美(やすだ・ひろみ)さんが6日午後2時33分、大腸がんのため死去したことが7日、分かった。72歳。北海道小樽市出身。山崎の所属レコード会社であるテイチクエンタテインメントから発表された。本人の遺志により、通夜・葬儀は行わない。お別れの会を開催する予定。

 安田さんは獨協大中退。小室等らのグループ「六文銭」の初期メンバーで、井上陽水(アンドレ・カンドレ)のデビューシングルのスタジオ録音でプロデビュー。陽水、小椋佳、山崎らのレコーディングや松山千春、中村雅俊、アリス、海援隊、堀内孝雄、石川さゆりらのアレンジなどで知られ、日本を代表するスタジオミュージシャンの1人だった。

 2001年1月に山崎と結婚している。

 山崎のコメント全文は次の通り。

  ◇  ◇

 大変な事ばかりの中、心苦しいのですが、山崎ハコよりお知らせさせて下さい。

 私の夫でギタリストの安田裕美が7月6日、午後2時33分 永眠いたしました。

 大腸癌、72歳でした。

 音楽業界の皆様には、50年以上もの間、スタジオミュージシャンとして、時には編曲家としてレコーディング等に呼んでいただき、沢山お仕事をさせてもらえました事、心より感謝申し上げます。

 又、数々のコンサート等で演奏させて頂きました事、関係者の皆様にお礼を申し上げます。長い間、お世話になりました。本当に有り難うございました。

 そして、彼のギターを沢山聴いて下さった安田裕美ファンの皆様、ありがとうごさいました。

 コロナ感染が収束していませんので、今は通夜、葬儀・告別式は行わない事を、慎んでお知らせいたします。

 「お別れの会」としましては、いつか 音楽溢れる、最初で最後の「安田裕美の会」をやりたいとは思っていますので、可能な道が見つかりましたら、必ずお伝え致します。

 私も今は悲し過ぎて 色々な事を考えられませんが、かけがえのない命、皆様のお健やかな事とご自愛を、心よりお祈り申し上げます。

 2020、7、7 山崎ハコ
スポンサーサイト



エンニオ・モリコーネ氏が逝去!

 今ネットで知ったのですが、イタリアを代表する映画音楽の巨匠、エンニオ・モリコーネ氏が7月6日にお亡くなりになりました。享年91歳。先週の落下事故で大腿骨を骨折し、その影響と合併症のためローマで亡くなったようです。

 50年以上にわたるキャリアで、500本以上の長編映画/テレビの音楽を手がけてきたモリコーネ氏。彼はローマで生まれ、サンタ・チェチーリア音楽院で作曲技法を学んだ後、作曲家としてテレビ・ラジオ等の音楽を担当。1950年代末~60年代前半から映画音楽の作曲を始め、小学校の同級生だったセルジオ・レオーネ監督の「荒野の用心棒」(1964年)が世界的に大ヒットを記録。マカロニ・ウエスタンを代表する作曲家となります。

 その後「天国の日々」(1978年)、「ミッション」(1986年)、「アンタッチャブル」(1987年)、「バグジー」(1991年)といった作品でアカデミー賞にノミネート。「ニュー・シネマ・パラダイス」(88)のメインテーマでも知られ、それ以降のジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品でも音楽を手がけている。クエンティン・タランティーノの敬愛でも知られ、彼が監督した「ヘイトフル・エイト」(2015年)でアカデミー作曲を受賞。1995年にベネチア国際映画祭の生涯金獅子賞、2007年にはアカデミー名誉賞が贈られた。 僕は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」 (1984年)で彼の音楽に感動をして以来、今日に至るまで興味を持ち続けて来ました。好きな音楽家の一人でした。心より御冥福をお祈り致します。

Malena - Ennio Morricone:


Ennio Morricone - Love Stories - Film Music Collection:

ジャズ・トランペッターのウォレス・ルーニー氏が新型コロナウイルスにより逝去!

 今朝知ったのですが、アメリカの世界的なジャズ・トランペッターのウォレス・ルーニー氏が新型コロナウイルスによりお亡くなりになりました。ネットの記事をそのまま掲載をさせて頂きます。心より御冥福をお祈り致します。

 “マイルスの再来”とも言われた新型コロナウイルス感染後に死去
2020/04/01 06:28掲載(Last Update:2020/04/01 06:56)Powered by Google 翻訳翻訳

 最晩年のマイルス・デイヴィス(Miles Davis)のバンドでも演奏。“マイルスの再来”とも言われたジャズ・トランぺッターのウォレス・ルーニー(Wallace Roney)が3月31日、新型コロナウイルス感染症の合併症により死去。米国の公共ラジオ放送NPRは訃報を確認し、また彼の広報担当者リディア・リブマンは声明で「象徴的なトランペット奏者でジャズ界の伝説的人物でもあるウォレス・ルーニーが、今朝、昼前に新型コロナウイルス感染症の合併症で亡くなったことを確認し悲しんでいます」「家族は、このパンデミックが過ぎ去った後、ウォレスと彼の音楽的貢献を称えるために追悼式を行いたいと考えています。いまは彼らのプライバシーを尊重してください」と発表しています。また訃報はマイルス・デイヴィスのSNSでも伝えられています。ウォレスは59歳でした。

 ウォレス・ルーニーはフィラデルフィア生まれ。幼少の頃から地元の音楽学校で音楽とトランペットの勉強を始める。16歳でジャズ界にデビューし、リーダー作を約20作発表。マッコイ・タイナー、ディジー・ガレスピー、エルヴィン・ジョーンズ、チック・コリアなどと共演を重ね、ジャズ・シーンに大きな影響を与えた。

マッコイ・タイナー氏が逝去!

 今日のお昼頃に知ったのですが、世界的なアメリカのジャズ・ピアニストのマッコイ・タイナー氏がお亡くなりになったようです。僕が彼の演奏を初めて聴いたのは、高校時代。ジョン・コルトレーンの数々のアルバムに於けるマッコイ氏の演奏が最初で、その後も彼のリーダー作などで、エネルギッシュで物凄い早弾きの演奏が特に印象に残っています。最後に、ネット上での情報をアップしておきます。心より御冥福をお祈り致します。

 「【3月7日 AFP】米ジャズピアニストで、ジョン・コルトレーン(John Coltrane)のカルテットに参加したことで知られるマッコイ・タイナー(McCoy Tyner)氏が死去した。81歳だった。家族が6日、発表した。死因は明らかにされていない。

 タイナー氏は、ハービー・ハンコック(Herbie Hancock)やビル・エバンス(Bill Evans)、チック・コリア(Chick Corea)などと並び、歴史上最も崇敬されたジャズピアニストの一人。モダンジャズピアノの歴史を形づくったとされ、何十年にもわたり最高のバンドリーダーとして活躍した。

 タイナー氏は1938年、フィラデルフィア生まれ。13歳でピアノを習い始め、20代初め、ベニー・ゴルソン(Benny Golson)とアート・ファーマー(Art Farmer)率いるジャズテット(Jazztet)でキャリアを開始。独創的な作曲家でもあったタイナー氏は1960年、サックス奏者であるコルトレーンの著名なカルテットに加わり、「至上の愛(A Love Supreme)」や「マイ・フェイバリット・シングス(My Favorite Things)」など伝説的なアルバムで演奏した。

 ベースにジミー・ギャリソン(Jimmy Garrisson)、ドラムにエルビン・ジョーンズ(Elvin Jones)が参加したコルトレーンのカルテットで、タイナー氏は生存する最後のメンバーだった。」

ライル・メイズ氏が逝去!

 今日知ったのですが、パット・メセニー・グループで活躍した世界的なジャズ・ピアニストのライル・メイズ(Lyle Mays)氏が、2月10日に死去されました。僕の大好きなピアニストで影響を受けたアーティストでもあるので、この訃報にとても驚いています。僕は、パット・メセニー・グループのこれまでの来日公演で、彼の素晴らしい演奏に何度も触れ感銘をさせて頂きました。取り急ぎになりますが、ネットの情報をアップさせて頂く共に、心より御冥福をお祈り致します。

「Powered by Google 翻訳翻訳」
 パット・メセニー・グループ(Pat Metheny Group)のメンバーとして知られているジャズ・ピアニストのライル・メイズ(Lyle Mays)が死去。パット・メセニー(Pat Metheny)の公式サイトで発表。声明では「愛する人たちに囲まれて、再発性疾患との長い戦いの末、今日(2月10日)ロサンゼルスでこの世を去った」と伝えています。訃報はライルのFacebookページでも発表。ライル・メイズは66歳でした。

 パット・メセニーは「ライルは私が知っている最も偉大な音楽家の一人だった。30年以上にわたって、音楽で共有したすべての瞬間は特別なものでした。一緒に演奏した最初の音から、すぐに絆が生まれました。彼の幅広い知性と音楽の知恵は、全ての面において彼が誰であるかのあらゆる側面を知らせた。あなたがいなくて寂しいです」と追悼しています。

 ライル・メイズは米ウィスコンシン州ウォーソーキー生まれ。ノーステキサス大学在学中、作曲と編曲を手掛けたビッグバンドOne O'Clock Lab Bandのアルバム『Lab '75』がグラミー賞にノミネートされる。1974年にパット・メセニーと出会う。1977年にパット・メセニー・グループ加入。それ以来、パットの片腕としてグループに貢献した。

プロフィール

masatomatsuda

Author:masatomatsuda
◯松田真人へのメールは
<requiemmasatomatsuda@gmail.com>へお願い致します!

◯松田真人(ピアノ、キーボード、シンセサイザー、作・編曲、プログラミング、ヴォーカル)

1956年(昭和31年)2月25日北海道小樽市に生まれる 星座 魚座 血液型 B型
1974年(昭和49年)北海道小樽市立小樽潮陵高等学校を卒業
1978年(昭和53年)国立音楽大学教育音楽学科第1類を首席で卒業
1979年(昭和54年)都立志村高等学校の音楽教師を1年で退職

 母親の薦めで、5歳7ヶ月頃よりオルガンを始め、6歳7ヶ月頃にピアノを習い始める。小学時代より流行歌に魅せられ、中学時代にはラジオから聞こえて来た洋楽を聴いたことが切っ掛けで、より一層音楽に夢中になり、高校時代にはキング・クリムゾン、エルトン・ジョン、イフ、サンタナ、チック・コリア等の影響を受け、大学時代はスクリャービン、ラフマニノフ等のクラシック音楽に傾倒する。

 国立音楽大学に入学してからは、特にクラシック音楽の作曲に没頭し、卒業後は都立志村高校の音楽教師になるが、1年で退職して因幡晃のツアーに参加、プロミュージシャンとなる。

 1985年にはバンド「パラダイムシフト」(ギター:松下誠、ベース:富倉安生、ドラムス:宮崎全弘)に参加。1992年にはバンド「パラドックス」(ギター:棚部陽一、ベース:竹田弘樹、ドラムス:菅沼孝三)に参加。

 現在までに、来生たかお、山下達郎、谷村新司、ボブ佐久間、玉置浩二、安全地帯、千住明、辛島美登里、Kinki Kids、竹内まりや、福山雅治、渡辺真知子、叶正子、村下孝蔵、因幡晃などのツアーやレコーディングに参加をする。1999年からは、自己のピアノソロライブを行い好評を博す。近年(2004年以降)は、オーケストラとの共演にもその音楽活動の幅を拡げている。現在も、スタジオワークとライブのサポートの双方の活動を精力的に展開中。
 
 2001年10月20日に自主制作で初のピアノソロアルバム(1stアルバム)「心ときめいて」(自主制作/ライブ盤)を発表。2003年02月23日にはクラシックの楽曲を収めたピアノソロアルバム(2ndアルバム)「Story of Romantic Melodies」(自主制作/ライブ盤)を発表。2005年09月18日には3rdアルバム「Requiem」(自主制作/スタジオ録音盤)を発表。2007年09月13日には4thアルバム「あたたかな時間」(自主制作/スタジオ録音盤)を発表。

 2014年の秋から「Paradigm Shift(パラダイムシフト)」の活動に再び参加。

 2018年04月27日に株式会社DELLA(デラ)よりCD「眠りのジャズ / 松田真人」を発表。06月25日付でオリコンの業界紙「コンフィデンス」のアルバムチャート82位に入る。2019年03月29日には株式会社DELLA(デラ)より第二弾のCD「夜カフェ〜ジャズ・ピアノ」を発表。

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR