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世界的ジャズ・ピアニストのチック・コリア氏が逝去!

 今朝、とてもショックな訃報を、スマホに入って来た情報で知りましたので、内容をそのまま掲載させて頂きます!

「ジャズピアニストのチック・コリア氏死去」

 チック・コリア氏は、僕に色々と音楽的な影響を与えてくれた、そして僕の人生にも影響を与えてくれたとても大きな存在でした!今はただ、心から御冥福をお祈りしたいと思います!あまりにも突然の訃報なので、まだ信じられません!茫然自失。合掌。涙!

【ニューヨーク共同】ジャズピアニストのチック・コリア氏が9日、がんのため亡くなった。79歳だった。本人名義のフェイスブックページで11日、明らかにされた。

【AFP=時事】(更新)米国のジャズ作曲家で、エレクトリックキーボード奏者の草分けであるチック・コリア(Chick Corea)氏が今月9日にがんで死去していたことが、フェイスブック(Facebook)の公式ページで発表された。79歳だった。

 公式ページの発表によると、コリア氏はまれな種類のがんを患っていたことがごく最近になって発覚していた。発表文では、コリア氏が生前に残したメッセージも掲載された。

 同氏は「私と旅を共にし、音楽の火を明るくともし続けることに協力してくれたすべての人に感謝したい。私の願いは、演奏や制作、パフォーマンスなどをしたいという気持ちがある人には、それをしてほしいということ。自分のためでなくとも、ほかの人々のために。世界にはもっとアーティストが必要だというだけでなく、単に本当に楽しいものなのだから」とつづっている。

「スペイン(Spain)」や「500マイルズ・ハイ(500 Miles High)」、「ラ・フィエスタ(La Fiesta)」といったジャズの名曲を世に送り出したコリア氏は、ハービー・ハンコック(Herbie Hancock)氏やキース・ジャレット(Keith Jarrett)氏と並んで20世紀を代表するピアニストの一人となった。米グラミー賞(Grammy Awards)受賞歴は計23回に上る。

【朝日新聞デジタル】米ジャズピアニストの巨匠、チック・コリアさんが9日、死去した。79歳だった。本人の公式フェイスブック(FB)で11日に明らかにされた。投稿によると、「ごく最近、珍しい型のがんが見つかった」という。

 1941年、米ボストン近郊生まれ。ジャズトランペット奏者だった父の影響でピアノを始めた。ジュリアード音楽院に入学したがすぐに辞め、20代の頃から、サックス奏者の故スタン・ゲッツらとともにステージに立った。 

 68~70年には、故マイルス・デイビスのバンドに参加。名盤「キリマンジャロの娘」でエレクトリックピアノを演奏し、ジャズの新しい方向性を見いだした。

 71~78年は、ベーシストのスタンリー・クラークらとともにバンド「リターン・トゥ・フォーエバー」を率い、同名のアルバムは70年代のジャズを代表する1枚となった。72年に作曲した「スペイン」は世界中でカバーされた。

 グラミー賞は67回ノミネートされ、23回も受賞。極めて多作なことでも知られる。来日公演も多く、まだ17歳だった上原ひろみさんをステージにあげたこともあった。上原さんとは2008年、日本武道館とデュエット公演を果たした。

【ニューヨーク=共同】米ジャズピアニストの巨匠チック・コリアさんが2月9日、死去した。79歳だった。公式ホームページなどで11日明らかにされた。同ページによると、死因は「ごく最近見つかった珍しい形態のがん」としている。米メディアは南部フロリダ州タンパベイの自宅で亡くなったと伝えた。

 1941年6月、米東部マサチューセッツ州チェルシー生まれ。60年代からトランペット奏者マイルス・デイビスさんらと活動を共にし、ボサノバやクラシックも取り入れた幅広い楽曲を演奏した。日本人ピアニストの上原ひろみさんと日本武道館で共演するなど、晩年まで活躍した。

 2006年に米ジャズ界最高の栄誉とされる国立芸術基金(NEA)ジャズマスターズ賞を受賞。多作で知られ、グラミー賞は今年3月の発表分も含め67回ノミネートされ、23回受賞した。NEAはコリアさんを「ハービー・ハンコック氏やキース・ジャレット氏と並ぶ卓越したピアニストの一人」と評している。

 4歳でピアノを習い始めた。作曲した作品も数多く、デイビスさんの説得で電子ピアノも演奏するようになり「リターン・トゥ・フォーエバー」などの名アルバムを残した。40歳近く離れた上原さんとはたびたび共演し、08年1月に連名のアルバム「デュエット」を発表。同年4月に日本武道館でピアノデュオ公演を披露した。

 コリアさんはホームページに「私と旅路を共にし、音楽を明るく燃やし続けるのを支えてくれた全ての人に感謝したい」とのメッセージを残した。

【NME Japan】ジャズ・ミュージシャンのチック・コリアが亡くなった。享年79歳だった。

 マイルズ・デイヴィスのバンドでピアノを弾いていたチック・コリアは現地時間2月9日に亡くなっている。公式フェイスブックに出された声明によれば、グラミー賞受賞歴のあるチック・コリアは「つい最近見つかった珍しい型のガン」を患っていたという。

「人生とキャリアを通してチック・コリアは新しいものを作り出し、アーティストたちと渡り合う喜びと自由を謳歌していました」

「彼は愛された夫、父、祖父であり、多くの人々にとって偉大なる師にして友人でした。一連の作品と世界をツアーした数十年を通して多くの人々の人生に触れ、影響を与えてきました」

 声明には亡くなる直前にチック・コリアによって述べられたメッセージも含まれていて、その長いキャリアを振り返るものとなっている。

https://www.facebook.com/chickcorea/posts/10158422599898924

「音楽の炎が明るく燃え上がらせ続けるのを手助けしてくれた旅に関わってくれたすべての人々に感謝したい」と彼は述べている。「演奏して曲を書き、パフォーマンスを少しでも行っている人々が音楽の炎を燃やし続けてくれることが僕の願いだ。あなたのためではなく、私たちのために。世界がよりアーティストを必要としているだけでなく、すごく楽しいことだから」

 メッセージは次のように続いている。「そして、私が知り合ってきた家族のような素晴らしいミュージシャンの友人たちへ。みなさんと演奏して学ぶことができたのは光栄で有り難いことでした。私たちのミッションは常にできる限り生み出すことの喜びをもたらすことであり、心から憧れるアーティストとそれを行うことでした。それが私の人生の恵みでした」

 1941年にマサチューセッツで生まれたチック・コリアは1960年代後半からマイルズ・デイヴィスのバンドに入り、『ジャック・ジョンソン』、『オン・ザ・コーナー』、『イン・ア・サイレント・ウェイ』、『ビッチェズ・ブリュー』といったアルバムに参加している。
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ジャズ・ベーシスト、ゲーリー・ピーコック氏が逝去!

 昨日キース・ジャレットに関する驚愕のニュースが飛び込んで来た中で、キース・ジャレット氏のピアノ・トリオ「スタンダーズ・トリオ」のベーシストとして、日本にも御縁のあるゲーリー・ピッコック氏が今年の9月4日にお亡くなりになっていた事を知り、遅れ馳せながらこの場を借りて御冥福を心からお祈り致します。以下に、ネットの記事をそのまま掲載させて頂きます。

 日本にも所縁のあるジャズ・ベーシスト、ゲイリー・ピーコックが85歳で逝去。その半生を辿るPublished on 9月 9, 2020

 ビル・エヴァンス、キース・ジャレット、ポール・ブレイ、マーク・コープランド、アルバート・アイラーらと共演してきた伝説のジャズ・ベーシスト、ゲイリー・ピーコック(Gary Peacock)が85歳で逝去した。2020年9月4日にニューヨーク州北部の自宅で亡くなったことを彼の遺族が伝えている。

 ゲイリー・ピーコックは、その70年にも及ぶキャリアの中で、数々のジャズ界の大物たちと充実したパートナーシップを築き上げただけでなく、12作のソロ・アルバムに加え、ポール・モチアン、菊地 雅章とのトリオ“テザード・ムーン(Tethered Moon)”で6作のアルバムを録音するなど、多くの作品を残している。

筒美京平さんが逝去されました!

 今月10月7日に、日本の昭和歌謡を代表する作曲家・編曲家の筒美京平さんが、病の為にお亡くなりになりました。享年80歳。僕は「ブルー・ライト・ヨコハマ」(1868年)や「また逢う日まで」(1971年)が特に好きでした。僕の中では「巨星堕つ!」と言う心境です。心より御冥福をお祈り致します。

ギターの安田裕美さんが逝去されました!

 今、スマホで、ギターの安田裕美さんがお亡くなりになった事を知り、凄く動揺しています!実は、先週2日(木)の若草恵さんアレンジの仕事は、安田さんがフォーク・ギターでいらっしゃる予定だったのですが、インスペクターさんのところに、体調の不具合が原因なのか僕にははっきりとは分かりませんでしたが、スタジオに行く事が出来なくなりました。と言った内容の連絡があり、急遽ギターの大久保明さんがピンチヒッターで登場する事になった訳です。

 安田裕美さんは、高校こそ違いますが、僕と同じ小樽出身の大先輩にあたる方で、井上陽水さんのデビューシングルでプロデビュー。シンガーソングライターの山崎ハコさんの御主人でもあり、日本を代表するギタリストの一人でした。若草さんアレンジの仕事では、僕はこれまで何度も御一緒をさせて頂きました。確か今年の1月頃の若草さんアレンジのスタジオの仕事だったと記憶していますが、録音が始まる前に、僕が今、シンガーソングライターの小田純平さんのサポートで御一緒させて頂いている、やはり日本を代表するギタリストの一人でもある笛吹利明さんと安田さんが同じ大学である事を聴いたので、その話をお聴きしようと思い、安田さんのいるギターのブースに行って御挨拶方々声を掛けさせて頂くと「松っちゃん、俺、今、鼻風邪をひいてるから、感染るよ」と言われたので、一言二言だけ話をさせて貰い、すぐに自分のピアノのブースに戻ったのが、多分安田さんとの最後の会話だったように記憶しています。

 その他にも、僕が谷村新司さんのサポートをやらせて頂いている頃、僕のブログに谷村さんのサポートの様子を日々アップしているのを読んで下さっていたようで「松っちゃんのブログを読むと、松っちゃんも頑張っているなあって、そう思ってるよ!」とか、僕がボブ佐久間さんのお仕事をやらせて頂いている時に、ボブさんの素晴らしいハーモニー・センスに付いて、僕なりに感想を書かせて貰ったのに対して「松っちゃん、ボブさんのそのコードを弾いてみてよ?」と言われたので、ボブさんが使っているセンスの良いハーモニーをピアノで弾いてみると「ジャズだね〜!」と仰っていたのを良く憶えています。心より御冥福をお祈り致します。安田さん、これまでの長い間、本当にどうも有り難うございました!

 以下は、ネットでの情報です。謹んで掲載をさせて頂きますので、宜しかったら、どうぞご覧になって下さい!

山崎ハコの夫でギタリストの安田裕美さん死去 72歳、大腸がん
7/7(火) 16:45配信
デイリースポーツ

 安田裕美さん

 シンガー・ソングライター、山崎ハコ(63)の夫でギタリストの安田裕美(やすだ・ひろみ)さんが6日午後2時33分、大腸がんのため死去したことが7日、分かった。72歳。北海道小樽市出身。山崎の所属レコード会社であるテイチクエンタテインメントから発表された。本人の遺志により、通夜・葬儀は行わない。お別れの会を開催する予定。

 安田さんは獨協大中退。小室等らのグループ「六文銭」の初期メンバーで、井上陽水(アンドレ・カンドレ)のデビューシングルのスタジオ録音でプロデビュー。陽水、小椋佳、山崎らのレコーディングや松山千春、中村雅俊、アリス、海援隊、堀内孝雄、石川さゆりらのアレンジなどで知られ、日本を代表するスタジオミュージシャンの1人だった。

 2001年1月に山崎と結婚している。

 山崎のコメント全文は次の通り。

  ◇  ◇

 大変な事ばかりの中、心苦しいのですが、山崎ハコよりお知らせさせて下さい。

 私の夫でギタリストの安田裕美が7月6日、午後2時33分 永眠いたしました。

 大腸癌、72歳でした。

 音楽業界の皆様には、50年以上もの間、スタジオミュージシャンとして、時には編曲家としてレコーディング等に呼んでいただき、沢山お仕事をさせてもらえました事、心より感謝申し上げます。

 又、数々のコンサート等で演奏させて頂きました事、関係者の皆様にお礼を申し上げます。長い間、お世話になりました。本当に有り難うございました。

 そして、彼のギターを沢山聴いて下さった安田裕美ファンの皆様、ありがとうごさいました。

 コロナ感染が収束していませんので、今は通夜、葬儀・告別式は行わない事を、慎んでお知らせいたします。

 「お別れの会」としましては、いつか 音楽溢れる、最初で最後の「安田裕美の会」をやりたいとは思っていますので、可能な道が見つかりましたら、必ずお伝え致します。

 私も今は悲し過ぎて 色々な事を考えられませんが、かけがえのない命、皆様のお健やかな事とご自愛を、心よりお祈り申し上げます。

 2020、7、7 山崎ハコ

エンニオ・モリコーネ氏が逝去!

 今ネットで知ったのですが、イタリアを代表する映画音楽の巨匠、エンニオ・モリコーネ氏が7月6日にお亡くなりになりました。享年91歳。先週の落下事故で大腿骨を骨折し、その影響と合併症のためローマで亡くなったようです。

 50年以上にわたるキャリアで、500本以上の長編映画/テレビの音楽を手がけてきたモリコーネ氏。彼はローマで生まれ、サンタ・チェチーリア音楽院で作曲技法を学んだ後、作曲家としてテレビ・ラジオ等の音楽を担当。1950年代末~60年代前半から映画音楽の作曲を始め、小学校の同級生だったセルジオ・レオーネ監督の「荒野の用心棒」(1964年)が世界的に大ヒットを記録。マカロニ・ウエスタンを代表する作曲家となります。

 その後「天国の日々」(1978年)、「ミッション」(1986年)、「アンタッチャブル」(1987年)、「バグジー」(1991年)といった作品でアカデミー賞にノミネート。「ニュー・シネマ・パラダイス」(88)のメインテーマでも知られ、それ以降のジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品でも音楽を手がけている。クエンティン・タランティーノの敬愛でも知られ、彼が監督した「ヘイトフル・エイト」(2015年)でアカデミー作曲を受賞。1995年にベネチア国際映画祭の生涯金獅子賞、2007年にはアカデミー名誉賞が贈られた。 僕は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」 (1984年)で彼の音楽に感動をして以来、今日に至るまで興味を持ち続けて来ました。好きな音楽家の一人でした。心より御冥福をお祈り致します。

Malena - Ennio Morricone:


Ennio Morricone - Love Stories - Film Music Collection:

プロフィール

masatomatsuda

Author:masatomatsuda
◯松田真人へのメールは
<requiemmasatomatsuda@gmail.com>へお願い致します!

◯松田真人(ピアノ、キーボード、シンセサイザー、作・編曲、プログラミング、ヴォーカル)

1956年(昭和31年)2月25日北海道小樽市に生まれる 星座 魚座 血液型 B型
1974年(昭和49年)北海道小樽市立小樽潮陵高等学校を卒業
1978年(昭和53年)国立音楽大学教育音楽学科第1類を首席で卒業
1979年(昭和54年)都立志村高等学校の音楽教師を1年で退職

 母親の薦めで、5歳7ヶ月頃よりオルガンを始め、6歳7ヶ月頃にピアノを習い始める。小学時代より流行歌に魅せられ、中学時代にはラジオから聞こえて来た洋楽を聴いたことが切っ掛けで、より一層音楽に夢中になり、高校時代にはキング・クリムゾン、エルトン・ジョン、イフ、サンタナ、チック・コリア等の影響を受け、大学時代はスクリャービン、ラフマニノフ等のクラシック音楽に傾倒する。

 国立音楽大学に入学してからは、特にクラシック音楽の作曲に没頭し、卒業後は都立志村高校の音楽教師になるが、1年で退職して因幡晃のツアーに参加、プロミュージシャンとなる。

 1985年にはバンド「パラダイムシフト」(ギター:松下誠、ベース:富倉安生、ドラムス:宮崎全弘)に参加。1992年にはバンド「パラドックス」(ギター:棚部陽一、ベース:竹田弘樹、ドラムス:菅沼孝三)に参加。

 現在までに、来生たかお、山下達郎、谷村新司、ボブ佐久間、玉置浩二、安全地帯、千住明、辛島美登里、Kinki Kids、竹内まりや、福山雅治、渡辺真知子、叶正子、村下孝蔵、因幡晃などのツアーやレコーディングに参加をする。1999年からは、自己のピアノソロライブを行い好評を博す。近年(2004年以降)は、オーケストラとの共演にもその音楽活動の幅を拡げている。現在も、スタジオワークとライブのサポートの双方の活動を精力的に展開中。
 
 2001年10月20日に自主制作で初のピアノソロアルバム(1stアルバム)「心ときめいて」(自主制作/ライブ盤)を発表。2003年02月23日にはクラシックの楽曲を収めたピアノソロアルバム(2ndアルバム)「Story of Romantic Melodies」(自主制作/ライブ盤)を発表。2005年09月18日には3rdアルバム「Requiem」(自主制作/スタジオ録音盤)を発表。2007年09月13日には4thアルバム「あたたかな時間」(自主制作/スタジオ録音盤)を発表。

 2014年の秋から「Paradigm Shift(パラダイムシフト)」の活動に再び参加。

 2018年04月27日に株式会社DELLA(デラ)よりCD「眠りのジャズ / 松田真人」を発表。06月25日付でオリコンの業界紙「コンフィデンス」のアルバムチャート82位に入る。2019年03月29日には株式会社DELLA(デラ)より第二弾のCD「夜カフェ〜ジャズ・ピアノ」を発表。

 2018年6月よりシンガー・ソング・ライター小田純平のサポートに参加。

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